仕事に目的意識を持たないで働いている人は意外に多いものです。
目的を持たないで仕事をするということは、ただ作業をするためであったり、1日の労働時間を潰すための作業をしているというだけともいえます。
仕事に目的意識を持たず作業することが目的になっている人の愚かさや問題点を解説します。
なぜ仕事に目的意識が必要なのか
仕事に目的意識が必要な理由としては、目的がなければ仕事なんてする意味がないからです。
目的がない行為は簡単に言えば、無意味な行為ともいえますし、目的を理解しないで仕事をするのは仕事をするというよりも、ただ作業をしているだけともいえるからです。
作業をすることが目的である仕事もありますが、多くの場合で目的を理解して仕事をしなければ、意味のある仕事はできませんし、モチベーションを持って成果を出すために仕事をするというところまで考えられていないともいえるでしょう。
自分が何のためにこれをやり、自分がそれをやることでどのような成果や効果が生まれるのかを考えて仕事をするためには、目的意識を持たなければ無理といえるのではないでしょうか。
仕事の目的は自分の作業時間の確保ではない
仕事の目的を自分の作業時間の確保のためと考えてしまっている社員が多くいると感じます。
自分がすることがない状態が嫌だから、自分はこの作業をやりたいから、ぐらいの感覚でなにかしらの作業にしがみついて、仕事をしているように見せている人がけっこういます。
自分は何をすべきで、どのような価値や成果を会社にもたらすかを考えていない証拠ともいえるでしょう。
目先の暇つぶしのため、仕事をしているというポーズのために、勤務時間の穴埋めのために何かをしているというだけのような人は、はっきり言ってしまえば何も考えていない、何の価値もない給料泥棒みたいなものです。
しかし、このような自分のためだけに仕事をしている風の人は意外に多いので厄介なのです。
仕事に目的意識を持てない人は仕事をしていない
ただ仕事をしている風の人は突き詰めれば仕事をしていないともいえます。
作業や雑務はしているのかもしれませんが、成果や価値ということを考えていなければそれは仕事と言えないでしょう。
給料は労働に対する対価であって、その人がもたらした価値や成果に対する報酬といえますので、仕事をしている風の人は給料に見合う価値や成果を提供しているというのは難しいかもしれません。
しかし、仕事をしているように見えるかもしれません、作業時間の確保のためや雑務をすることで、残業を多くしているという場合もあるからです。
仕事は中身や成果よりも、労働時間の多さや頑張っている風の雰囲気で評価される傾向は、いまだに強く残っています。
このような評価体制や企業文化が仕事に目的意識を持たず実質は仕事をしていない人が多く生まれている要因ともいえるかもしれません。
作業の目的は仕事の目的を達成するためである
仕事は作業の時間が多いこともありますが、作業の目的は仕事の目的を達成するためのものですので、繋がっています。
つまり、作業が多いという場合であっても、仕事の目的を意識することはできます。
また、逆に言えば仕事の目的につながらない作業は、無駄な作業であって作業ということすらおこがましいということです。
どうでもいいような作業を多くして、仕事をしている風に見せている、仕事をしていると思い込んでしまっているようであれば、ちゃんとした仕事をすることは難しいでしょう。
成果や価値につながらない作業であっても、多くやっている、頑張っているように見せることで評価されることがあるのも事実ですが、その会社内でしか通用しないことともいえますし、社内政治や出世には効果があるかもしれませんが、自分のスキルや経験には何も返ってこないものです。
仕事をする目的が、その会社内での社内政治や出世が目的であれば、そのような手段で評価されるのであれば否定はしませんが、そのようなガラパゴス的な環境での仕事と、本質的な仕事では違いがあるということは理解しておくべきでしょう。
仕事の目的意識を持たない人は愚かで無能な存在
仕事の目的意識を持たないで働く人は、多くの場合で愚かで無能な存在です。
指示待ちであったり、与えられたものをただやる、というような場合が多く、自分で自分がどう動くべきかということを考えることができないことが多いです。
つまり、自分が何を求められていて、何をすべきかを考えることができないので、何のためにいるの?という感想しかこちらに抱かせてくれないのです。
作業要員や人数合わせのためだけにいるのであれば、会社はどうあれ現場の人間からしたら不要ですし、いないのと変わりません。
仕事に目的意識を持てない人間は、主体的に動くことができない、責任を持とうという意思や自分の仕事に価値を見出したり、自分という価値を提供することを考えていない人間といえるので、はっきり言ってしまえば使えない無能な存在であることが多いのです。