好きなことを仕事にとか、趣味を仕事にとか、
楽しく働くとか、やりたい仕事を探そう!などなどと、
よく言ってたり、言われたりするものではありますが、
そもそも仕事したくない、という感情があるので、
好きなことや趣味を仕事に~とか言われても、
そもそも仕事したくねーしって感情からピンとこないことはないですか?
そもそも「仕事」したくないという前提がある
やりたい仕事とか好きを仕事にってのは、
やりたくない仕事や嫌いな仕事をやるよりはマシだとは思います。
ですが、そもそも仕事したくない前提があることを忘れてもらっちゃ困るんです!
まぁみんながみんなそうではないと思うのですが、
個人的には仕事したくない!って気持ちが生まれてこの方あるわけです。
ですから、やりたい仕事とか好きなことを仕事にとか言われても、
いやいや仕事したくねえんだからやりたいも好きもクソもねえんだよ!
っていうのが毎度のことながら思うことなのです。
将来の夢とか志望とかを学生時代からよく書かされたりしましたが、
すべてが仕事に繋がるような内容ですので、ねえな!って感じでした。
そして今現在ですら、したい仕事はないですし、
そもそも仕事したくないって気持ちを持ち続けているわけですよ。
仕事になると途端にやる気がしない
どんなに好きなことであってもそれが「仕事」になるとやる気がしなくなりませんか?
仕事になるということは責任や義務がついて待とうということです。
ですから、楽しんだり好きだけで出来るものではないんですよね。
中には、自分が楽しんでる姿や好きだと発表することが仕事になっている方もいますが、
このような方は稀ですし、普通に仕事や働くこととは一線を画していますよね。
仕事になってしまうと好きなことも好きじゃなくなるし、
楽しいことも楽しくなくなる部分があります。
なぜなら仕事としてやっていないときが楽しかったり好きだと感じていたわけで、
仕事になってしまった瞬間からは別物と言えるからかもしれません。
あらゆる労働が向いていないとすら思う
そもそも仕事したくないって感情を持ってしまっていると、
あらゆる労働に向いていないのでは?とすら思うことがあります。
よくわからない仕事や必要かどうかもわからない仕事を労働としてするのに、
圧倒的に向いていない人種なのだろうなと自分で思います。
だからといって、サバイバルできるわけでもないので、
この社会のシステムの中で働き口を探し、わずかな金を得て、
日々を生き伸ばしていくしかない自分のしょぼさを感じつつ、
だが、やはり労働に向いていない精神の人間だなと、
日々の労働の合間に感じながら生きているような気がします。
そもそも仕事したくないけど生きるためしている
仕事をしないと生きていけないシステムと状況であるが故、
仕事をしたくないと思いながらも仕事をしています。
また、仕事ができている状態を有難いとは感じています。
ですが、仕事をしないでも生きていける状態になったとしたら、
迷わず仕事をしないを選択すると思います。
働かないで済むほどの金が手に入ったりすれば、
即仕事は辞めてしまうでしょうね。
なぜなら、そもそも仕事したくないからです(笑)。
仕事をしてお金を得ないと生きていけない基本システムなので、
仕事をしないで済む状態やお金を手にしない限りは、
仕事をしないといけないんだろうなぁと、悲しく思っています。
そもそも仕事したくない中で仕事をするハードモード
そもそも仕事したくないって常に思っている中で、
仕事をしないといけないという人生はなかなかハードモードです(笑)。
でも、仕事が見つからないで悩んだり、仕事しないとな!とかも思うので、
中途半端な自分自身を情けなく思います。
振り切れてないんですよね、やっぱ植え付けられた常識というマボロシが、
脳裏に刻まれているので、社会システムの歯車として生きているわけです。
そもそも仕事したくないって感情を抱えているのに、
仕事しないといけねーしなぁという矛盾した思考をしているので、
自分でも歯痒い気持ちでいっぱいです。
ですが、やっぱりそもそも仕事したくない!ってのは揺るぎませんね(笑)。
したくねえもんに理由なんてないんですよ。
だってしたくないって思っちゃうんだから、勝手にね。
スーパー意識が低いのを自覚しつつ、
また、仕事しなくていい状態になることを夢見つつ、
この自分の中ではハードモードな思いで仕事をして生きているのです。