人生いつ終わるかわかりゃしないのに、
時間を売ることで生計を立てています。
また、まだ見ぬ不透明な、
あるかどうかも定かでない将来の自由な時間のためにと、
今ある時間を切り売りして、
いつか自由に使える時間のためにと時間を失っていきます。
自分の時間のために自分の時間を売り浪費することに虚しさを感じます。
時間を売ることの対価で暮らしている
月給制だろうと時給制だろうと、
時間を売ることで対価を貰っていることは変わりません。
不労収入でないのであれば、
多かれ少なかれ自分の時間を切り売りしているのは事実なわけです。
子どものころから人生は有限であると気がついていたし、
時間が経てば、
- 学校というところに通わないといけない
- 興味のない勉強とやらをしないといけない
- もっと時間が経てば働くという行為をしないといけない
- 時間を自分の意思に反して消費しないといけない
ということに気がついていたので、
人生って自分で時間の使い方も選べないシステムになってんだな、
と虚しさや絶望を感じていましたね。
![子供のころから将来が不安や心配でこの先面倒くさいことばかりだなと悩んでいた](https://ksmtk.net/wp-content/uploads/2020/01/When-I-was-a-child-I-was-worried-that-the-future-was-all-about-this-annoying-and-anxious-thing-320x180.jpg)
自分の持ち時間がわからないのに時間を売る
明日の暮らしのために今日の時間を売る。
極端に言えば、こうやって暮らしているわけですが、
明日が確実ある保証なんてどこにもないですよね?
でも、何か月後、何年後、に休みや楽しみを予定して、
そのために今の時間を売ることで生きているわけです。
仕方がない部分でもありますし、
そういうものだと言えばそういうものなのかもしれませんが、
自分の持ち時間がわからないのに時間を売るということに、
勿体なさというか、
売っただけで返りないのではないか?
などの不安を感じてしまう部分はあります。
今ある時間は確実なのに、確実ではない時間のために、
確実な時間を売るというのに違和感を少々感じるのです。
少ない自由や休みを得るために時間を犠牲にしている
多くの方が、自由な時間より不自由な時間のが多いと思います。
多くの時間を犠牲にすることで少ない自由な時間を手にしています。
例えば、一般的に働いている人は、
週5日働いて2日休みを得ています。
5日間不自由な時間を過ごして、
2日間やっとの思いで自由時間を手に入れるわけです。
そう考えると、
人生の大半が不自由な時間に支配されている、
と感じてしまう部分も出てくるわけです。
やりたくないことをやらないで自由に生きればいいだろ、
という人もいるでしょうが、
誰もが好き勝手して生きられるわけではありませんよね。
自分の才能やこれまでの生き方にも原因があるはあるのですが、
それだけではなくシステム自体に不具合があるのでは?
と感じてしまうことも少なからずあるのです。
![ふざけることは重要!真面目にふざけることでつまらない場や退屈な時間に価値を与える](https://ksmtk.net/wp-content/uploads/2020/03/Playing-is-important-Add-value-to-boring-places-and-boring-hours-by-being-seriously-playful-320x180.jpg)
人生の多くの時間が搾取されないと生きていけない
今思えば、子供のころの時間は学校で12年間は意思に反して失います。
まぁ学校のすべてが無駄だとは言いませんが、
少なからず耐えていた時間があったことは否定はできないでしょう。
むしろ行かないといけないという強迫観念もあったぐらいです。
つまり、子供のころから、
自分の意思に反して時間を奪われるシステムに組み込まれるわけで、
それが普通であり、当たり前であるという教育を受けるわけです。
高校や大学を卒業したら、会社や仕事をしないといけない、
学校という場から労働の場に変わるだけであって、
時間を奪われるシステムであることには変わりありませんし、
学校や仕事で時間を奪われてきた人間でないと、
いわゆる普通に生きていくことも難しいという仕組みになっています。
制限のある少ない自由を得るためには、
多大なる不自由を強いられているというわけで、
まやかしのような自由な時間を得るために、
時間を失うしかないというのは悲しいことだなと思ってしまいます。
![時間がもったいない、仕事をしている時間がもったいないと感じると働くのがつらくなる](https://ksmtk.net/wp-content/uploads/2020/01/If-you-feel-that-you-are-wasting-your-time-or-working-time-you-will-lose-your-motivation-to-work-320x180.jpg)
何もしないでお金が入ってこない限り時間を売るしかない
時間を売ることを嫌だと思わないで自由な時間を謳歌できるのは、
- 何もしないでお金が入ってくるような人
- お金が既にあって好きなことをしていればいいという人
- 時間を売ることが苦じゃない人
などの、お金に不自由していない人や労働に必要がない人、
または時間を売る、時間を失うことに抵抗がない人、
という人たちでないと、時間を売ることになってしまうでしょうし、
少なからず不本意な形で時間を失うことに苦痛を感じることでしょう。
いやいや、働いて時間を失って生きていくことは普通でしょ!
という声があるのは理解できますし、
別に異常なことであると言っているわけではありません。
ですが、結局時間を売る、ということで、
時間を失うことになることや、
失った時間よりも圧倒的に少ない自由な時間を得るということに、
虚しさを感じてしまうということです。
また、そうしなければ生きていけない自分自身にもやるせなさを感じるのです。
自分の時間を自由にできることが幸せなのかもしれない
まぁ悲観的なことを書いてきましたが、
仕事したくないって思ってるからでもあるし、
楽して金がどかんと手に入れば、
もう働かないわって考えてますので、
現状の週5日間、9時間から10時間拘束されて働いて、
ぼちぼちの金しか得られていない現状を呪っているわけです。
また、生きるために必要なことだけをしている、
というわけでもないので余計に無駄を感じているのかもしれません。
自分が必要と感じていることを自分の意志で時間を使う。
ということが一番だと思うので、
楽して何もしないでいい時間が欲しいわけではなく、
自分の時間を自分のため、生きるために納得して使えることが、
幸せなのではないかなと感じます。