社会で生きていく中で、自分の意思とは別に何かに属されてしまいます。
なんというか、属すことに対して、
子供のころから漠然とした嫌悪感みたいなものを感じています。
イマイチ調べ方が悪いのか、これだという情報に行きあたらないので、
個人的にしかないものなのかなぁとも思っています。
心理学とかに詳しい方とか、機会があれば教えていただきたいぐらいです。
具体的にどういうときにそう感じてしまうかを書いていきます。
※ところどころ内なる声と会話しています。
属すことの嫌悪感:馴れ合いを感じると嫌になる
物凄く仲の良い本当の友達であれば、嫌にはなりません。
会社とか学校とかの、友達ではないけど、
仕方なく共同体に含まれている人たちに対して感じてしまいます。
自分に対して、馴れ合って来たらすぐに嫌になりますし、
他人同士のやり取りで慣れ合ってんなぁって感じて嫌になるときもあります。
まあ、何となく苦笑って誤魔化したり、愛想出したりもしますが、
「あーあって感じ」になってしまいますね。
※要は、つまんねーって感じてんだろ?
まあ、そうかもしれないけどそれだけじゃないんだって。
属すことの嫌悪感:みんなでとか、一緒にとかで嫌になる
特に孤独を好むとか一匹狼ってわけじゃないんですけど、
こういうこと言われると一気に抜け出してえって思ってしまいます。
これはしたくもないことを強制されているという部分からも、
嫌悪感が生じてるんでしょうけど、
なんかあまり輪が広がるっての自体が嫌なのかもしれない。
※というか、みんなでとか、一緒にって言うやつ自体も嫌いなんだろ?
まあ、それはなくはないわ。
属すことの嫌悪感:内輪感を感じ出したら嫌になる
これは、自分が入っても入ってなくても嫌になります。
繰り返しますけど、本当に親しければいいんですけどね!
内輪ノリとか内輪ネタとか、しょうもない雰囲気が嫌いですね。
馴れ合いの部分と共通していると思うんですけど、
外部に対しても内輪感を出す人とか見た場合も拒絶反応が出ます。
なんか以前、取引先から二人ぐらいが会社に来て事業説明とかレクチャーしてる時に、
片割れが、もう一人のことを「叔父貴」とか言ってて、引きましたね。
※そいつはただのアホだな
俺もそう思う。
属すことの嫌悪感:アホの非常識が常識になると嫌になる
学校でも会社でもコミュニティとして閉鎖的だと思うので、
非常識が常識になっているときを感じます。
自分の常識とズレてるなと感じると嫌になるってことかもしれないです。
価値観の違いとかも、そうかもしれませんね。
こう感じてしまうと、もう気味が悪くて仕方ないんですよね。
その「奇妙なルールとか一団に属さないといけないのか」
って思ったらもう無理です。
※無理するなよ
ご心配どうも。
属すことの嫌悪感:仲間なんだからとか言われたら嫌になる
会社でも言われる時ないですか?
「同じ会社の仲間なんだから」とか。
もうこれ言われた瞬間に、
「仲間とか思ったこともねーし!」って感じです。
こういうこと考えもせず言う人って何なんですかね。
他人の気持ちとか人間関係とか、考えられないのかなぁ。
仲間なんだったら、どうしろというんだ?って思いますし、
そもそも仲間じゃないですからね。
※顔には出さないだろ?
出てるかも!
属すことの嫌悪感:一括りにされると嫌になる
これは大きいですね。
なんか漠然と一括りにされてまとめられてるのが嫌なんでしょうね。
自分は自分であって何者でもないって考えてる部分があるので、
嫌悪感を感じてしまうのかもしれません。
まあ、その自分自身ですらよくわかってないんですけどね。
自分でもよくわかっていない自分を、
どこぞのアホに勝手にまとめられたり、
お前のことわかってるから、みたいな感じが嫌なのかなぁ。
でも、本当に子供のころから嫌でしたんでよくわかりませんけどね。
何かに属すことへの嫌悪感は伝わりました?
細かい場面や例を出していく前に、
大雑把にこういう時に嫌な気分になるということをまとめてみました。
漠然と子供のころから思ってたことを、
文章にまとめてみると少し整理された気もします。
属されること自体より、属しているもの自体に不満があるからなんでしょうけど、
昔からあるこの感覚に対して自分でも疑問で興味があります。
「他の人もこういうこと思うのかなぁ」って思ったりしてましたしね。
※いないだろ、そんなヤツ
いないかもしれないけど、もう書いちゃったから、仕方ない!
※ひとり共感の声を頂きました感謝!