フレックス、スーパーフレックス、裁量労働制、などさまざまな働き方は増えていますが、じゃ労働時間が減って自由な時間が増えたかというとそういうわけでもありません。
なぜなら、フレックス制などを導入していても「月間総労働時間」というのが設定されていて、結局のところ総労働時間は定められているからです。
自由な働き方の実現を阻害する月間総労働時間という考え方のおかしさを考えていきましょう。
月間総労働時間とは何か?
月間総労働時間とは、企業が定めている1ケ月に満たさなければいけない労働時間のことです。
たとえば、1日の労働時間が8時間となっていて、稼働日が20日ある場合は、月間総労働時間は160時間ということになります。
この場合は、いわゆる9時から18時とか10時から19時での勤務でもそうですし、フレックス制であっても定められていることがほとんどです。
つまり、最低でも160時間は月で働かなければ給料が満額支給されない、しっかり働いているとみなさないという基準値として、企業ごとに月間総労働時間は定められています。
月間総労働時間は企業の所定労働時間の合算で計算されていますが、所定労働時間の多くは、法定労働時間が基準で決まりがちです。
法定労働時間では、1日8時間、1週間40時間と決められているので、40時間×4週の稼働日で160時間となることが多いです。
結局のところ、8時間労働が当たり前という感覚ではじき出されているので、どのような働き方であっても企業が示す基準である月間総労働時間をクリアするには、1日平均で8時間働かなければいけないということです。
月間労働時間がいろいろ足を引っ張っている
月間総労働時間という概念がいろいろと自由な働き方や労働時間の短縮の実現などの足を引っ張っています。
なぜなら、結局のところ月に働かなければいけない時間は変わらないからです。
自由な働き方は始業や就業を自由にできたり、曜日も自由などの部分も含まれますが、月間の労働時間に自由はないわけです。
また、結局のところ時間で拘束するという考え方でしかないので、仕事の内容や速度よりも時間に到達さえしてしまえば満額給料は支払われることになるので、楽と言えば楽かもしれませんが、生産性を高めたり業務速度を上げて仕事をしたとしてもうま味はないわけです。
たとえば、本来は8時間かかる作業を3時間で終わらせても、あと5時間は労働時間として浪費してなければいけないので、時間を自由に使うことはできません。
テレワークなどなら多少は融通を利かせることができるでしょうが、オフィス勤務なら残り5時間はオフィスにいなければ給料が減ってしまうわけです。
つまり、どのような働き方であっても月間総労働時間が決まっているのであれば、月間総労働時間に到達させるように労働時間を積み重ねなければいけないので、本質的には労働時間も短くなりませんし、自由な時間が増えることもないのです。
月間総労働時間があるからフレックスもあまり意味がない
フレックスタイム制であっても月間総労働時間が決まっているということは、基本的に所定労働時間で働いているのと変わりません。
コアタイム以外の部分で多少の融通が利くという部分がフレキシブルなだけで、柔軟な働き方ともそこまでいえないのです。
結局のところ、フレックスであっても月にクリアしなければいけない労働時間が決まっているわけですから、始業や終業の時間を多少前後できるだけで、拘束されている時間は変わらないからです。
また、残業もなくなるわけではないので最低限は月間総労働時間分は働かないといけない+残業が上乗せされるので、必然的に労働時間は長くなりがちです。
根本的に労働時間を短くするという発想がないので、いくら業務効率化を実現しても労働時間が短くなっていかないという現実は否定できません。
なぜなら、やるべきことが終わったら終わりというのを打ち出すことができないですし、仕事がなくても仕事をしていなくても労働時間をクリアをしていれば仕事をしているとなる世の中なので、労働をしているか否かは既定の時間拘束されたかどうかということでしか考えられていないのです。
月間総労働時間の考え方は実質は時給制
簡単に言えば、月間総労働時間というものがある限り、時給制で働いているのと変わらないといえます。
規程の労働時間をクリアしなければ給料が満額支給されないことの方が多いですから、固定給であっても時給制で計算されているということです。
つまり、労働時間に対する対価であるので、効率性や業務速度や成果なんてものは反映されていないともいえます。
たとえば、1日か2日間を体調不良で休んだとして、その分をシャカリキに頑張って1日で取り戻したとしても、月間総労働時間は2日分少なくなっているわけですから給料は2日分少なくなります。
簡単に言えば、月間総労働時間があるのであれば仕事の締め切りとかがない限りは、何もせずにのほほんと適当に仕事をしていればいいということなので、無能も余裕で金を貰えますし、有能な方もより効率的に仕事を進めようという気になりにくいという点が挙げられます。
終わったらもう終わりでいいよ、というスタイルで働くことができない限り、いくら早く仕事を終わらせても拘束時間という呪縛からは解放されないので、労働に奪われる時間は同じになります。
どのような能力の人や仕事の進め方であっても最低限月間総労働時間をクリアしていればいいというある意味で簡単な決まりではありますが、この考え方のせいで自由という部分には大きな制限を課せられているのです。
労働に費やす時間が減らなければ自由な働き方の実現は無理
月間総労働時間ってのは普通のことって感覚になっているのはわかりますし、時間で管理するのが一番楽ですし、管理する側に能力もいらないからって部分もあるでしょう。
しかし、生産性向上や業務効率化を叫んでいるし、ITの普及で確実に業務の速度は上がっているのに、なぜ労働時間が短くならないのかと考えたら、月間総労働時間というものが足かせのひとつとはいえるでしょう。
1日5時間労働にします、みたいな法改正があれば多くの方が1日3時間労働時間が減ることになると思いますが、これぐらいのことがない限り、いくら業務効率化がされても労働時間というものは減らないのではないでしょうか。
当たり前とされている1日の8時間から10時間勤務、それを基準にした月間総労働時間という縛りを根本的に見直さなければ、労働時間の短縮や自由な働き方の実現は無理だと思うのです。